【 名頭の重要性

                    
 
  私たちは子供のころから、友だちの名前を呼ぶのに姓よりも名前のほうを多く呼んだようです。
  いまの子供も同じで吉田君・中村さんと呼ぶより、和夫くんとか和江さん、または和ちゃんと
  呼んでいるほうが多いようです。この呼び名の習慣は、幼な友だちの仲ですと学生時代から
  青年時代、さらにずっと後までも続くものです。好雄、好江、好徳、好和、好子など、みんな
  「好ちゃん」で間に合ってしまいます。ということは名頭の一字がたいへんに重要な役目をもって
  いるということです。といって下の字が役にたたないとか、重要でないという意味ではありません。

  姓名はその一字一字が重要であって、みんな生きているのです。しかし、この例で解るように
  名頭の一字は特に重要性を持っているのです。私たちは名前を付けるときに、この名頭の一字
  には特に注意を払って、良い名前を考えねばなりません。

  名前の効力というのは、呼んだ時、書いた時など名前を使用することによって発揮するのですから
  呼ばれることの、もっとも多い名頭の字は、他の字よりも重要性があるのです。
 
 
 
 両親の名頭(その1)

  両親の存命中に、その名頭を子供に使用することは二人が相克となり、お互いに不幸を招きますから
  避けなければなりません。
 
  特に父親の名頭をとってつけると、不幸であったり、病気の絶え間がなかったり、最悪の結果になり
  かねませんからやめてください。
  実例をあげますが、私の郷里の町外れにある日蓮宗のお寺で住職の名前が通遠といいましたが、
  その子供がみんな名頭の通をとって、長男が通明、次男が通良、三男が通泰でした。
 
  本堂の横手に大きな池があり目の下三尺もあるという、真っ赤な鯉が、その池の主のように悠然として
  泳いでいるのを子供のころよく眺めていたものです。
 
  私が名古屋へ出てきてやっと一年たったころ、急にその鯉が死んでしまったのです。なんでもイタチに
  生き血を吸われたという話でした。それからまもなく住職夫婦がなくなり、長男の通明は京都の大学に
  いましたが、これも死亡、僅か三年の間にこの一家は、一人残らず死に絶えてしまったのです。
 
  「みんな仏さんみたいで、あんなええ人たちが、どうして、こんな不幸な目にあわなければならない
  のだろう。これじゃ日蓮さんも仏さんも、あったもんじゃない。せめて誰か一人くらい残しておいてくれ
  ても、よさそうなもんだにみんな亡くなってしまうは・・・・・・むごたらしいこった」
 
  その三年というもの、檀家の人々は、涙のかわくひまもなかったようでした。しかし、姓名学を研究
  した私にはいまはっきりと、この一家滅亡の悲しむべき原因がどこにあったのか、思い当たりました。
  父親(住職)の名頭がぜんぶの子供の名頭になっていたのです。
 
  そして、住職の五気は通遠(つうおん)ですから火土、長男通明は火水、通泰も火火となっています。
  住職はまるで生き仏のような温和な人で、何一つ欠点のないよい人でした。
 
  その名前の陰陽の配列を見ますと、11画、14画の陽陰で、これも悪くありません。寺の名前は妙経寺
  といいましたが、姓は吉川(きっかわ)ですからその配列は吉川通遠(●○○●)となり晩年の不遇は
  さけられませんし、子供に自分の名頭をつけたことがなによりいけなかったのです。
 
  通明の配列は父親と同様、吉川通明(●○○●)、通良は吉川通良(●○○○)通泰もやはり
  吉川通泰(●○○○)となります。同じ病気で、同じような死にかたをしたこの一家をみて、なるほど・・・
  ・・・と思わざるをえないのです。ここにも姓名の神秘性を感じるでしょう。
 
  火水の組み合わせ、火火の組み合わせは、まえにも述べましたように、非業死、また不治病ということに
  なっています。これが、父親の名頭を使用したことと重なって、この悲惨な結果を招いたことになるのです。

  姓名の重大さを、私は、いまさらしみじみと感ぜずにはおれないのです。これは架空の姓名でなく、戸籍上
  の実名を例にとりました。住職一家のあまりにも悲惨な実話なのです。



 両親の名頭(その2)

  やはり私の郷里の話ですが、子供が十数人もいて、町でも評判の家でありました。
  そのほとんどが年子なので町ではもっぱら、助平夫婦という名でとおっていたようです。
 
  父親の名前は、義なんとかいいましたが子供の名前は、はっきり憶えていません。というのは、男の子ばかり
  たくさんいましたので、憶えきれなかったのです。しかし、子供の名前は、ぜんぶ義の字がついていたことは
  事実で、義男,義明、義孝、義光、義直、義弘などといったようです。
 
  私たちもその名前を呼ぶのに困りましたが、両親にしても、ずいぶんまぎらわしくて、困ったことと思います。
  だが窮すれば通じる、とよくいわれるように、そこはうまくしたもので、両親が子供の名を呼ぶのを聞いて、
  これは面白いと感じました。
  長男だけは「義男」と呼んで、あとの子供は、みんな下の字を呼ぶのです。私たちもこれを真似て「明ちゃん
  孝ちゃん、光ちゃん、直ちゃん、弘ちゃん」と呼ぶことにしたのです。こんな例は、ほかにも沢山あることでしょう。
  しかし、この一家もひとり死に、ふたり死に、つぎつぎに亡くなって、今日では、ほとんど生存している人は
  いないようです。

  名前の義は、十三画で、三、五、九画にあてはまりますから、親子に縁のないのは当然ですし、その上に、
  親の名前を子供につけているのですから、良い結果の得られなかったことも、また当然といわねばなりません。
 
  配列や画数が良好であっても、この名前を使用することは、ぜったい避けてください。このような名前を持って
  いる人は、世間にたくさんありますではこの人たちは、どうしたら、この悪い結果を未然に防ぐことができるでしょうか?

 ◆ まず第一に考えられることは、別家をして、一つの屋根の下に住まぬことです。
 ◆ その第二は、改名をすることです。
    この二つにより方法はないでしょう。

  分家だ別家だといいますが、田舎のほうでも都会でも、なかなか面倒なことです。
  しかし、改名するのはしごく簡単で手っ取り早くてよいと思います。
  むかしの武家にはこの例が、たくさんあります。秀吉と秀頼、その他徳川家の系譜を研究してみるのも興味の
  あることでしょう。
 
  源義朝の名前をとった義経が、その兄の頼朝より不遇であったのも、当然の結果です。
  ここで誤解のないように注意しておきますが、これはいずれも存命中の名前であって、亡くなった祖先の人の
  名前をつけるのはかまいません。また名頭でなく、下の字ならどこに使用してもよいのです。

  「名頭」ということを、間違いのないようにして下さい。

  父親の名前が義高だったとすれば、義の字を名頭にしないで、正義、昌義、道義などと下に使用したり、
  下の字をとって、高雄、高道などとする場合は、自由に使ってかまいません。
 
  また発音が同じでも漢字が異なっておれば、これまた、いっこうにさしつかいありません。
  たとえば父親が政男だとすれば、同じマサの発音でも雅雄、昌男、真佐男などならかまいません。
  とにかく父親の名頭と同じ字を、子供の名頭にしないことです。発音が異なっていても、字が同じならいけません。
 
  茂兵衛(もへえ)の頭字で茂(しげる)。良造(りょうぞう)の頭字で良雄(よしお)などのように、呼び方が異なって
  いても、字が同じではいけないのです。

 (註)
  上記の例にあげた政義、昌義、道義、雅雄、昌男、真佐男などは、名頭の例であって
  陰陽、画数、五気は問題にしないで下さい。



 
名頭には3画・5画・9画をさける(その1)

  吉田姓であろうが、中村姓であろうが、姓の如何にかかわらず名頭に3画・5画・9画・13画・
  15画・19画の字はさけます。
 
  なぜかといいますと、この画数の字をもっている名前は親子縁うすく、また自分の相続人との縁も
  うすいからです。親子が早くから生き別れ、死に別れになるのは、この3・5・9画の名頭をもって
  いる名前の人にもっとも多い、という統計数がでております。
 
  父親が交通事故で死んだとか、子供が海で亡くなったというような、事故死亡者をみますと、約58%が
  この画数をもっている人です。そして親子縁の深い人でもだいたいにおいて23〜24歳が限度となって
  います。
 
  これを解りやすく、はっきりいいますと名頭に3・5・9画を持っている人の親子縁は23〜24歳
  までしかないということになるのです。また不思議なことに、親の名頭が3・5・9画をもっていると
  子供にも3・5・9画の名頭がついていることが多い、ということです。たとえば、両親の名前が
  三郎と信子だとしますと、子供には弘・正・俊・英・照・輝などの名頭の持っている名前がついて
  いるものなのです。
 
  これは姓名の神秘といいますが、こんな例はたくさんありますから統計からいっても決して偶然
  ではありません。私の知人にもこれにあてはまる人がいます。これは戸籍上にはっきりのっている
  事実ですから何よりの好例といえるでしょう。

  ( )内は名頭の画数です。
                   長男  功一(5)
                   長女  千恵(3)
  父  義男(13)・・・・・・・  次男  昭二(9)
  母  映子 (9)       三男   慶三 (15)
                   四男   稔(13)

  父の名頭、義の字は13画、母の映は9画です。この両親は子供に縁のうすい名頭をもっていたの
  です。そして5人の子供を生んでいますが、その名前が全員3・5・9画で親に縁のうすいことを
  示しています。
 
   ではその結果はどうなったでしょうか?
 ◆長男、功一は高等学校を卒業すると家業の飲食店を継がず、家をとびだし上京して運送会社に
   勤務し35歳頃の帰国するまで各社をを転々とし帰国と同時に父に死別しています。

 ◆次男昭二は、家業の手伝いをしていましたが、23歳の時に交通事故で死亡。

 ◆三男慶三は、海軍自衛隊に入隊と同時に、両親との縁はなくなっています。

 ◆四男稔は、高等学校へ入学と同時に寮生活、大学卒業と後は大手商社に就職して、海外勤務
   両親との縁は16歳でほとんどなくなっています。

 ◆長女、千恵は女のことですから、他家へ嫁ぎ親との縁うすくなるのは当然ですが、これも考えよう
   です。同じ町の人に嫁ぐとか、近くの町の人に嫁いだのなら、なにかにつけて交渉がありますから
   決して縁がうすいわけではないでしょう。ところが、しじゅう行ったり来たり出来ない遠いところへ
   嫁いだのだから、やはり縁がうすかったのです。そして、その主人が、これまた3画の名頭で久男。
   生まれた子供が千鶴と大介でやはり二人の子供との縁は切れています。




 名頭には3画・5画・9画をさける(その2)
 
  「父親と子供が命の綱引き」
  いかに財産や地位・名声に恵まれても、父親が短命であったり、子供に縁がないとしたら
  不幸と言わなければなりません。
  名頭に3・5・9・13・15.19.23.25画の数が有る場合、父親と息子の縁を
  切ってしまう作用をするのです。つまり命名で三・五・九画の名をもらった人は父親との
  縁がうすく(自分が早死にするか、父親が早死にするかという命のやり取り)自分が父親に
  なったら子供・特に相続人と縁が薄いということになります。

  運勢の強弱、吉凶の中で死は最大の不幸といってよいでしょう。人は誰でも、いずれは死に
  ますが、この場合は、若年での死による離別を意味します。ですから3・5・9画の作用は
  極めて重要視しなければなりません。

  死による離別の他、相続人が生まれないとか居ても家を継ごうとせず、家を離れて親の元
  に近寄らないという場合があります。親子縁の深い人でもだいたいにおいて23〜4歳が
  限度となっています。名頭の3・5・9画は家庭円満、子孫繁栄の大敵です。
 

  昔とちがって現代では親子の縁のうすいのはあたりまえだ、子供は親の膝元を離れて都会
  へ海外へと発展していくからだ、早ければ早いほどよいという考え方もあります。

  しかし、親子縁があるとかないとか、薄いとか濃いというのは、単に別れて住んでいるから
  薄い、一緒の家に住んでいるから濃い、というだけではないのです。一緒に住んでいても
  朝から晩まで顔を合わせると不愉快になったり、いがみ合っている親子なら縁が深いとは
  いえません。

  遠く離れて住んでいても、お互いに親子の愛情の通じ合うのは縁が深いのであって朝夕に
  親を思い子を思い、手紙のやりとりも始終あるようなら、たとえ身体は別れていても精神的
  にはひじょうに縁が深いことになります。

  何人子供があっても早く死んだり、家出したり、親を親とも思わず、子を子とも思わず顔を
  合わせれば喧嘩ばかりしているようなのを親子縁うすし、というのです。
  別れて住んで居れば喧嘩もしなくてすむでしょう。うすい縁の親子同士が一緒に暮らして
  いるからこういう結果になるのです。

  また一緒に住んで居れば幸福に円満に暮らせる親子が、勉学や職業のために離れて住んで
  いるだけなら、これは縁が深いとみるのが当然のことでしょうが、やはり一緒に住むことが
  むずかしいのです。この点を十分に理解しておいて下さい。
  3・5・9画の名頭をもつ人は肉体的・精神的に親子縁がうすい、ということです。



 名頭の5画と15画も不運名

  名頭に5画、15画の字をもっている人は親子縁うすいばかりでなく、運勢、健康などすべて
  片寄りますから、さらに警戒しなければなりません。
  しかし警戒しておれば、ある程度はさけられても、どうにもさけられないのが宿命なのですから
  最初から使用しないに越したことはないでしょう。
 
  この5画、15画の名頭をもっている人は、その陰陽にかかわらず、全部の姓名を陽とみます
  から、配列の形が、たとえ良好であっても「配列不良」とみます。
 
  10  8    5  12    ● ● ○ ●
  宮  松   弘  雄   ○ ○ ○ ○


  7    8    15  6   ○ ● ○ ●
  杉  岡   輝  江    ○ ○ ○ ○

  上記の例のように配列良好であっても、名頭5画、15画によって、下のような陽ばかりの
  不良の配列になります。
  ただし、字画の天数・地数・人数・外数・総数などはこのままで、画数には変わりありません。
  配列だけが不良になるだけですから誤解のないようにして下さい。
 
  しかし、たとえ画数が吉数となっていても配列不良のために、せっかくの吉数が半減する
  のですから、たいへんな損となります。
 
  この名頭に5画、15画の字をもつ人は、運勢健康その他すべて片寄り、精神的、肉体的
  生活的、社会的、家庭的に不安定となり、一時は成功しても長く続かず、再起不能となり
  中年以後不遇、晩年は大凶となる。
  という 統計が出ているのですから、この点を十分に考慮にいれて「良い名前」をつけるよう
  にして下さい。

  悪いということを知りながら使う人はそんなに多くはいないでしょうが、中にはアマノジャクな
  人もいて、人の良くないということを無理にでもやってみる人があります。
  ほかのことと違って、人間の運勢や健康にも影響のある重大なことなのですから、こんな
  アマノジャクは絶対に許されないことだと思います。
 
  一生涯、その身に爆弾を抱いているようなものです。いつ、何処で、どんな急激な変化が
  起こるか知れないのです。

  事故死亡者1000人のうちで、この名頭5画.15画を持っている人が135人前後あるという
  統計数が出ています。特に名頭5画は97名となっています。

  【事故死亡者総数1000名の内】
  384名・・・・・・名頭 3.5.9.13.15.19画
  135名・・・・・・名頭 5.15画
   97名・・・・・・名頭5画

  これが統計数であって、何千何万の事故を調べてみても、この比率はほとんど変化なしです。




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  ★ 良い名前の命名資料.8・・・・・・名頭の重要性(完)